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メッセージのアウトライン

仕えるために救われた!

わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。(ヨハネ12章26節)

仕える者は主人に従う:「わたしに仕えるというのなら、その人は私についてきなさい...」

「僕(しもべ)は、主人の後に従うものだ」と主イエスは明確に仰っています。
しもべには、主人に対して「私はこれこれをするつもりです」と表明する権利は与えられていません。
主イエスに従うとは、主の知恵を頂いて正しい道を選び、主のために生き、神様が私達に望んでおられることをするために、御霊に導いて頂くということです。
新約聖書で使われている「仕える者」はたいていギリシャ語のdoulos(奴隷)を表しています。
しかしある場面では、diakonos(聖職者や牧師)を意味することもあります。
これは実は正しいことなのです。Doulos(奴隷)とdiakonos(聖職者)というのは類義語なのです。
どちらの言葉も、自分の思いのままにするのではなく、その人の主人が買い取った所有物として生きる人を表しています。私たちは主人の必要に仕えるために買い取られたのです。では、主イエスは僕にどんな仕事をするように用意されているのでしょうか。人が主に仕える方法は、「仲間として与えられている『人々』の僕になり、彼らの手助けになることなら何でも(たとえ犠牲を多く払わなければならないようなことでも、どんなに惨めなことでも)喜んでそれをすることだ、と教えています。

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使徒パウロからの招き

敬虔な人生を歩むようにと私たちを励ますために、使徒パウロは以下の場所へと私たちを招きます。(エペソ5章をもとに)

1.宮 (エペソ5:1-7)
宮にて、使徒パウロは、私たちのためになされた主イエスの犠牲を私たちに思い起こさせます。罪は醜く、神にとって悪臭のようです。(イザヤ12:1-8)

もし愛の内に歩むなら、私たちの人生は主への生きたささげもの、いけにえとなり、またかぐわしい香りとなります。

2.畑 (エペソ5:8-14)
次に、使徒パウロは実った実を見せるべく私たちを畑へと招きます。そして、光の中を歩むなら御霊の実を結ぶということを思い起こさせます。(ガラテヤ5:22、23)

もし光の内を歩むなら、私たちは暗闇との交わりを持つことができません。(第2コリント6:14-18)

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家族として神に仕える

沢山の家族の子どもが主に従っていないのです。神は家族として神に仕えるよう望んでいます。

神は法則を与えています。


  • 父に(エペソ5:23、Ⅰテモテ3:4-5)

父は。。。によって家族を導かなければなりません。 :

。。。 神のことばを教えることにより(方向性)
。。。 家族に対する祈りにより   
。。。 生きた例
。。。 妻と子を愛することにより
。。。 情熱と安定を示すことにより

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彼らはすべてを置いて彼に従った

(ルカ5:1-11)

計画1
神はあなたに教える準備がある!

 ‘ 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが’ルカ5:1

 レッスン 1
 もし私が聞く準備があるなら、神は私に教える準備がある

 計画2
 神は神の力を見せる準備がある!

 ‘ 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
イエスは答えられた。「・人はパンだけで生きるのではない。・と書いてある。」
また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」‘ルカ4:2-7

 

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感謝による祝福

1.感謝は霊的生活の現われです
ルカ17:11-18
あとの9人はどこですか?
2.感謝は栄光を神にもたらす
使徒の働き3:7-11
私たちは他の方々を感謝を持って励まします

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James N. スポルジョンは書いています。

仕事はあなたの選択だ、宣教はキリストの召しだ。仕事から何かを得ようと期待する。宣教はあなたがすでに頂いたものをお返しするもの。仕事はあなたの技量によっているが宣教は神に対するあなたの技量にかかっている。仕事はあなたに賞賛をもたらすが、宣教はキリストに栄光をお返しするものだ。    

この働きは私たちの主であり救い主であるイエスキリストに栄光をもたらす。